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真空管 ソラ 東京芝浦電気

項目 内容
館コード 現代産業科学館(SCIENCE AND INDUSTRY)
分類コード ST:工業・科学技術
資料番号 201603014
資料名 真空管 ソラ 東京芝浦電気
資料形態 実物
製作者等 東京芝浦電気
縦・奥行mm 77
横・幅mm 32
資料情報 日本無線が開発した万能真空菅FM2A05Aは優秀でしたが、構造が特殊だったため量産化が困難でした。第二次世界大戦の戦局の拡大に伴って真空管の需要が増大すると、海軍は日本無線以外にも生産を要請し、西堀栄三郎が技術本部長を務めていた東京芝浦電気にも要請がきました。しかし製造の難しさから応じないでいると、軍は病み上がりの西堀を横須賀の会議に呼びつけ、国賊とまで罵って応じるよう詰め寄りました。そこで西堀は同じ性能の万能真空管を1か月以内に50個作ると啖呵をきって帰社しますが、社内では実現不可能という意見が大半でした。西堀は諦めず解決策を模索し、陽極格子間静電容量を減少させる方法として、真空管の内壁につけたゲッター膜をアースにすれば両方の電極の橋渡しが遮断され、電気容量が小さくなることに気づき、ステムにアクアダックを塗布することで見事にこの難題を克服し、予定より10日も早く納品しました。その際、軍の関係者から、飛行機の通信機用真空管にちなんで名称は「ソラ」でどうかという提案があって、この名称に決まりました。なお昭和36(1961)年10月7日付け朝日新聞の”わたしがいちばん興奮したとき”に、このときの顛末を述懐していますが、西堀にとってそれほど思い出深い出来事でした。なお西堀は第一次南極観測隊の越冬隊長や日本山岳協会会長なども務めるなど多彩な顔をもち、様々な分野で幅広く活躍しました。またアメリカの「いとしのクレメンタイン(Oh My Darling, Clementine)」という曲に歌詞をつけて「雪山讃歌」としたことでも知られています。